"Ocean in View! Oh, the Joy!"(「海が見える。何という喜びか。」)アメリカ大陸は広い。とにかく広い。東西に車で走ると、宿泊せずに走っても、3日はかかるだろう。以前アメリカ一周2ヶ月、36,000kmの旅に出かけたが、とにかく走っても走っても海にたどり着かない。カリフォルニアにたどり着き、レッドウッドの森を抜ける辺りで、太平洋を目にし、それが日本とつながっているかと思うと何とも言えない感慨をもった。私たちの場合、わずか1ヶ月ほどであったが、海を目指して何ヶ月も海が見えないと、海が見えたときの感激は、何ヶ月も航海して、初めて島が見えたときと同じようなものなのだろう。この言葉を日記に残したのは、William Clark(ウィリアム・クラーク)大尉。1805年11月7日のことである。前年の5月14日にセント・ルイスを発ってからほぼ18ヶ月目、陸路4,000マイル(6,400km)以上を旅した後のことである。
Meriwether Lewis(メリウェザー・ルイス)大尉とウィリアム・クラーク大尉が率いる一行31名(ルイス&クラーク探検隊)は、ジェファソン大統領の命を受け、太平洋につながる水路を探して、セント・ルイスから西へ探検を進めた。彼らは、the Corps of Discovery(発見隊)と呼ばれ、途中プレーリーの原住民に遭遇しながら、西部の珍しい自然・動植物に出会い、これらの詳細な記録を残している。苦難の上、ついには太平洋にたどり着いたのだ。しかし、クラークが海だと思ったのは、コロンビア川の河口付近で、海ではなかった。本当の太平洋を目にするのは、それから数日後の11月15日のことである。
アメリカ大陸の冬は厳しく、食料の乏しい冬に移動することは危険であった。探検隊は、コロンビア川の河口付近で越冬することを決め、キャンプの場所を探した。当初、コロンビア川の北側にキャンプを張り、現在のワシントン州で適当な場所を探したが、悪天候に阻まれ、よい場所を探すことができなかった。このため、コロンビア川河口の北側の岬は、
Cape Disappointment(失望岬)と呼ばれている。現地の原住民Clatsop(クラットソップ)族は、コロンビア川から採れる鮭と毛皮や交易により豊かな暮らしを営む400名程度の部族であった。ルース&クラーク探検隊との関係も基本的に良好で、コロンビア川河口の南側に住む彼らは、南側の方が狩猟用の動物が豊富であるとの情報を探検隊にもたらした。この情報をもとに、彼らはコロンビア川河口の南側で越冬することを決め、基地建設にとりかかった。こうしてできた基地は、Fort Clatsop(クラットソップ砦)と名付けられた。クラットソップとは、鮭の干物の人々という意味である。
クラットソップ砦
一行が上陸したNetul Landing(ネタル・ランディング)
クラットソップ砦での越冬は、容易なものではなかった。アメリカ北西部の冬は、今でもじめじめとした雨が絶えず降るが、1805年の冬も例外ではなく、砦に滞在した106日中94日雨が降った。このため風邪、インフルエンザ、リュウマチなどに悩まされ、不衛生な状況から蚤が発生し、衣類なども朽ちてしまう状況であった。食料もエルクや鹿を捕獲するだけでは足りず、原住民から根菜を調達した。浜に打ち上げられたクジラの一部を原住民から譲ってもらったりもした。この場所は現在Ecola State Park(イコラ州立公園)に残っている。また、塩がほとんど尽きていたため、帰りの旅に必要な分も含めて塩の確保が必要であった。このため、1805年12月28日に別働隊を派遣し、海水を沸騰させて塩を得る事業に着手した。翌年の2月21日にこの
「塩工場」を閉鎖するまでに帰路にも十分な塩を確保することができた。現在この場所も再建されている。こうして、ルイス&クラーク探検隊は、厳しい冬を何とか乗り切ることができ、3月23日にクラットソップ砦を出発し、帰路についた。このとき、クラットソップ砦は、そっくりそのままお世話になったクラットソップ族にプレゼントとして渡された。そしてその年の9月23日に彼らは人々が見たことがない西部を実際に体験したヒーローとしてセント・ルイスに帰還した。探検隊のルートについては、
ここ(PDF)を参照して下さい。
Lewis & Clark National Histroical Park(ルイス&クラーク国立歴史公園)は、探検隊が越冬したクラットソップ砦や探検隊の越冬にゆかりのある場所をまとめたテーマ公園となっている。クラットソップ砦は、1800年代半ばまでオリジナルが存在したが、湿った気候のため、朽壊してしまい、現在のものは再建されたものだ。砦には、当時の服装をした人が当時を再現してくれている。
*この公園は、1958年にFort Clatsop National Memorial(クラットソップ砦国立記念碑)として設立されたものが、2004年に周辺の公園も含めて国立歴史公園に拡大されたもの。
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)PDFです。