28 East 20th St., New York, NY。マンハッタンの一角に何の変哲も無い石造りのタウンハウス風の家が建っている。うっかりすると何も知らずに通り過ぎてしまいそうなこの家が第26代大統領セオドア・ルーズベルトの生れた場所であり、14歳まで育った場所である。
ここはセオドアの祖父に当たるCornelius(コーネリウス)が息子の結婚プレゼントに購入したものである。ルーズベルト家は、オランダ出身で、1640年代よりニューヨークに住む名門であった。
セオドアの父の名前も同じセオドア。母は
Martha Bulloch(マーサ・ブロック)。1858年10月27日にセオドアは厚板ガラスの輸入を家業とする裕福な家に長男として生れた。後にカウボーイとしてノースダコタのバッドランドで過ごし、米西戦争では騎兵隊を率い、大統領引退後にはアフリカ、アマゾン探検隊に参加するというタフ・ガイの姿からは想像もつかないが、幼少期は病気がちで虚弱体質であった。喘息もちであったために、発作を起こすこともたびたびあったという。このため、外遊びもままならず、家で本を読んで過ごすことが多かった。剥製術を独学で学び、動物の剥製をこしらえるのが趣味であった。
子供部屋
転機は12歳のときに起こる。父親が裏のベランダにボクシングジムを作り、セオドアはこれで身体を鍛えるようになった。これ以降、セオドアは、次第に体力をつけ、喘息の発作もおさまり、見違えるような青年に育っていった。教育はその当時の裕福な家庭の例に倣い家庭教師から受け、18歳でハーバード大学に入学し、学問とスポーツに打ち込み、優秀な成績で卒業し、コロンビア大学のロースクールに進学するも、大学院は中退し、1881年にニューヨーク州下院議員に当選し、政治家セオドア・ルーズベルトの人生が始まった。(この続きは、
セオドア・ルーズベルト国立公園や
セオドア・ルーズベルト大統領就任国立史跡を参照。)
イースト20番街の彼の生家は、一旦1916年に撤去され、商業ビルが建てられたが、1919年にWomen's Roosevelt Memorial Association(ルーズベルト記念婦人協会)によって当時の様子に再建された。家具の4割が当時のルーズベルト家の家具で占められており、希少性が高い。ミュージアムが併設されており、数々のルーズベルト・メモラビリアが飾られている。生家で見られるポートレート写真の中には、タフ・ガイで鳴らしたルーズベルトが幼少の頃スカートをはかせてとった写真があったと記憶している。当時は小さい男の子に女の子の恰好をさせて写真をとるのが裕福な家庭ではやっていたということだが、成人になったルーズベルトがこれを見てどう思ったかが気になるところである。
(国立公園局のHP)