乾燥地帯では水は何よりも大切なものである。水のある場所に人々は暮らし、水のために人々は争った。アリゾナ州のグランド・キャニオンの北側のArizona Strip(アリゾナ・ストリップ)と呼ばれる高原に、Pipe Spring(パイプ・スプリング)と呼ばれる湧き水があり、ここを舞台に原住民、宣教師、開拓者などが行き交った。とりわけ19世紀後半には、モルモン教徒のフロンティアとなった。
パイプ・スプリングの湧き水は、古来より知られ、12,000年前には原住民が狩猟の旅の途中で寄っていた。そして紀元前300年ごろ以降は、竪穴式住居を建て、半農耕、半狩猟の生活を送った。後にはアナサジ族がプエブロ式住居を築き、農業に従事した。アナサジ族が去った後は、Paiute(パイユート族)がこの場所の主役となった。パイユート族の中のKaibab Paiute(カイバブ・パイユート族)がパイプ・スプリング付近に定住し、彼らはジュニパーの枝などで茅葺のテントを建て、ときおり鹿、プロングホーン、ウサギなどを捕らえながら、トウモロコシや豆類を耕作し生活していた。また、彼らはバスケット作りの名人でもあった。最盛期には5,500名の人々が住んでいた。しかし、18世紀に入り、ヨーロッパ人との接触で疫病がはやり、ナバホ族やウテ族の略奪を受けて、人口は1870年代にはわずか200名まで減少した。
その次に現れたのはヨーロッパ人、アメリカ人であった。カイバブ・パイユート族と初めて出会ったヨーロッパ人は、カトリックの宣教者であったAntanasio Dominguez(アンタナシオ・ドミンゲス)とSilvestre Velez de Escalante(シルベスタ・ヴェレズ・デ・エスカランテ)らであった。1776年のサンタフェからカリフォルニアへの伝道活動の際に、カイバブ・パイユート族の村を通りかかり、食料とルート情報を得た。1858年にはモルモン教徒のJacob Hamblin(ジェイコブ・ハムリン)はホピ族への伝道活動の途中パイプ・スプリングに立ち寄っている。1870年には、グランド・キャニオンを含めコロラド川流域を探検した
John Wesley Powell(ジョン・ウェズリー・パウエル)がその途中にパイプ・スプリングに立ち寄っている。
1850年末、モルモン教徒は、ソルト・レイク・シティーから西部各地に広がっていった。湧き水と牧草のあるパイプ・スプリングは、畜産業を営む者にとって移住に好都合のところであった。1863年にJames Whitmore(ジェームズ・ウィットモア)はパイプ・スプリングの周囲160エーカー(64ha)の土地を手に入れ、牧場、果樹園を始めた。しかし、翌年にはナバホ族の略奪が始まり、1866年に家畜を奪ったナバホ族を追跡するうちにウィットモアは殺されてしまった。その後、モルモン教徒とナバホ族の間で報復合戦が行われた。1868年には、モルモン教徒の民兵がパイプ・スプリングに対ナバホの小さな拠点を築いた。
モルモン教の指導者
Brigham Young(ブリガム・ヤング)は、寄付で増えた家畜のための牧場としてパイプ・スプリングの地を選び、Anson Perry Winsor(アンソン・ペリー・ウィンザー)を管理人に任命した。1870年にウィンザーはパイプ・スプリングにWinsor Castle(ウィンザー城)と呼ばれた堅固な住居兼砦を築いた。ナバホ族などの襲来に備えて、入り口は頑丈な扉を設置し、2階からは遠くの砂煙が見えるように考慮された。そして1871年には他のモルモン教徒のコミュニティーやソルト・レイク・シティーと結ぶ電報網が設置された。ここで作られたバターやチーズ、肉用牛は55マイル(88km)離れたSt. George(セント・ジョージ)の町に出荷され、牧場は繁盛し、1879年には2,200頭を数えるに至った。また、かつてモルモン教は重婚を認めていたため、各地で迫害された重婚者の家族がウィンザー城に避難してきた。家畜数の増加によって環境上の影響も現れたため、モルモン教会は、1895年にパイプ・スプリング牧場を売却した。牧場は民間人の手で引き続き続けられたが、牧草地の減少に旱魃が重なり、カイバブ・パイユート族の生活にも深刻な影響が現れ始めたため、連邦政府は、1907年に、パイプ・スプリング周囲を除き、カイバブ・パイユート自治区を設定した。しかし、その後も水と土地の利用権を巡る争いは続いたという。
ウィンザー城
ところでここを訪れると、パイプ・スプリングはどこで見られるのかと思うことだろう。パイプ・スプリングは見ることはできない。パイプ・スプリングはウィンザー城の応接間の下から湧き出ているという。それを導管でチーズ、バター作りの部屋や家畜の水のみ場である池まで引いている。このため、ウィンザー城の中では最も応接間が涼しく過ごしやすい場所であったという。大事なパイプ・スプリングは盗られないように、ちゃんと匿われていたというわけである。
パイプ・スプリングの湧き水によるため池
(国立公園局のHP)