1821年にWilliam Becknell(ウィリアム・ベックネル)によって開拓されたミズーリー川とメキシコ(サンタフェ)を結ぶルート、
サンタフェ・トレールは、間もなくロッキー山脈の毛皮や中西部のバッファローの毛皮と東海岸で製造された工業品や贅沢品とを交換するワゴン車が行き来するメジャーな交易ルートとなった。1833年に、このサンタフェ・トレールの北側のルート上に、当時のアメリカとメキシコの国境のアーカンソー川のほとりに、サンタフェ・トレールの中心的な交易所が建てられた。この交易所は、設立者であるBent(ベント兄弟)の名前をとって、Bent’s Fort(ベントの砦)と呼ばれ、未開のフロンティアの異文化間の交易・社交の場となった。現在、ベントの砦があった場所に交易所の建物が再建され、Bent’s Old Fort National Historic Site(ベント・オールド・フォート国立史跡)として保存されている。(当時の交易ルートは、
ここ(PDF)を参照。)
ベントの砦
このベントの砦を設立したベント兄弟は、兄
Charles(チャールズ)、弟
William(ウィリアム)の二人である。兄チャールズは1799年に現在のウェスト・ヴァージニアのCharleston(チャールストン)、弟ウィリアムスは、1809年にセント・ルイスで生まれた。父親はセント・ルイスで判事を務めた人物であったが、ベント兄弟は全く違う毛皮商の道を志し、アーカンソー川流域でビーバーを捕獲していた。1829年には、二人はワゴン車を仕立てて、サンタフェまで交易に出かけている。同じ年、ウィリアムはコマンチ族からCheyenne(シャイアン族)の若者二人を匿い、命を救ったことから、シャイアン族と良好な関係を築くことができた。
1830年には、ベント兄弟は、地元の交易商Ceran St. Vrain(セラン・セント・ヴレイン)とチームを組み、Bent, St. Vrain & Company(ベント=セント・ヴレイン商会)を設立し、サンタフェやTaos(タオス)に店を構え、サンタフェ・トレールの交易品の輸送に従事した。このときに、サンタフェ・トレールの途中に交易所兼休憩所を設ける案を思いつき、1833年にベントの砦と後に呼ばれる交易所を設立した。3人のうち、ウィリアムがこの交易所のマネージャーとなった。ウィリアムが原住民との良好な関係を築いていたため、シャイアン族やArapaho(アラパホ族)はバッファローの毛皮をここに持ち込み、バッファローの毛皮の一大出荷地点となった。また、サンタフェ・トレールの旅人にとっては、2ヶ月のサンタフェ・トレールで唯一安心して休憩し、補給できる場所となった。また、交易所は事実上の中立地点として、原住民部族間の紛争解決や連邦政府と原住民との間の話し合いの場所となった。1837年にウィリアムはシャイアン族の酋長の娘と結婚し、原住民との関係はさらに親密なものとなった。やがてベントの交易所は、アメリカ西南部の原住民との一大交易所に発展した。
毛皮プレス機
1846年に米墨戦争が勃発すると、ベントの砦はアメリカ軍がメキシコに攻め込む拠点となった。
Stephen Watts Kearny(スティーブン・ワッツ・カーニー)大佐率いる部隊は、ベントの砦で補給し、メキシコ領内に攻め込んだ。しかし、メキシコ軍は現在のメキシコ領に撤退したため、連邦軍はチャールズを臨時ニューメキシコ知事に任命し、メキシコ軍を追いかけ、さらに南進した。しかし、1847年1月19日のタホの反乱により、アメリカの支配を嫌う旧メキシコの人々にチャールズは殺されてしまう。アメリカ軍の後には、探鉱者や開拓者が押し寄せるようになり、原住民との間の争いも増え、ベントの砦での商売は次第に困難になっていった。ウィリアムは、サンタフェ・トレール付近に拠点を集約しようとしている軍にベントの砦を売ろうとしたが、あまりにも低い評価しか受けなかったため、1849年にこれを爆破した。
ウィリアムは、1857年に38マイル下流の場所で交易所を再開するが、その2年後にコロラド・スプリングス近くのPikes Peak(パイクス・ピーク)で金が発見され、ゴールド・ラッシュが起こると、ウィリアムの交易所は人の流れから取り残されてしまった。さらに1864年11月29日Sand Creek(サンド・クリーク)でシャイアン族が虐殺される事件にウィリアムの家族も被害者として巻き込まれ、この結果、息子のチャールズはシャイアン族による白人追い払い闘争に加わるなど、ウィリアムは思いもかけない運命のいたずらに巻き込まれ、失意のうちにカンサスに引揚げ、1869年に亡くなっている。
ベントの砦があるコロラド州南東部はカンサスの続きで平原が続き、強い風が吹くと砂埃を巻き上げ、タンブリング・ウィードが道を横切っていく、西部劇に出てきそうな風景である。ベントの砦は、当時の様子を忠実に再現し、開拓時代の西部を偲ばせている。
(国立公園局のHP)