Rosie the Riveter – WWII Home Front National Historical Park(ロージー・ザ・リベター/第2次世界大戦ホーム・フロント国立歴史公園)は、その名称の長さもさることながら、国立公園局が一切施設を持たない珍しい国立公園ユニットである。サンフランシスコの対岸の町Richmond(リッチモンド)は、第2次世界大戦中、軍需産業で栄えた町である。リッチモンドを舞台に当時工場動員され、アメリカの戦争遂行を縁の下で支えた人々に焦点を当てて、歴史を振り返ろうという国立公園ユニットである。
ロージー・ザ・リベターとは誰か。第2次世界大戦中、アメリカの軍需工場を支えた600万人とも呼ばれる女性労働者を象徴して呼ぶ呼び名である。当時ミシガン州のWillow Run Aircraft Factory(ウィロー・ラン航空機工場)で爆撃機をリベットで留めて組み立てていたRose Will Monroe(ローズ・ウィル・モンロー)という女性が国内での戦争協力を呼びかける映画に出たところから、戦争に協力して工場で働く女性労働者のことをこう呼ぶようになったと言われている。ロージー・ザ・リベターの姿は、1942年にJ. Howard Miller(J・ハワード・ミラー)がウェスティングハウス社のために作成した
ポスターに見ることができる。このポスターの女性はGeraldine Doyle(ジェラルディン・ドイル)というミシガンのプレス工場で働いていて女性がモデルと言われている。
ロージー・ザ・リベター
リッチモンドでは、ここで行われた軍需用品の製造のため、第2次世界大戦中に人口が24,000人から10万人に増えた。フォードの自動車組み立て工場は、軍事用のジープの製造を行い、49,000台のジープが製造された。また、フォード工場は、戦車の最終組立工場としても使用され、ここからだけで91,000台の戦車が戦場に送り出されていった。
フォード工場跡
また、造船王Henry J. Kaiser(ヘンリー・J・カイザー)が所有した造船所では、747隻の船が組み立てられた。各地で作られた部品がカイザー造船所で最終的に溶接された。他の造船所の2/3の時間、1/4のコストで組立てが行われたという。船舶の組立てには、最短で5日間、通常でも2週間あまりしかかからなかったという。カイザーはここに全米から女性工を集めた。カイザー造船所で働く女性は、Wendy the Welder(ウェンディー・ザ・ウェルダー)と呼ばれた。Janet Doyle(ジャネット・ドイル)という女性がモデルと言われている。第2次世界大戦中に製造された貨物輸送船はLiberty Ship(自由の船)やVictory Ship(勝利の船)と呼ばれた。その1隻であるRed Oak Victory(レッド・オーク・ビクトリー号)がかつての第3カイザー造船所に停泊されている。1944年11月9日初出航し、第2次世界大戦中は弾薬運送船として活躍した。戦後、貨物船として使用され、ベトナム戦争時には軍需品の輸送も行った。1968年以来予備役にされていたところ、1996年に地元のRichmond Musuem Association(リッチモンド博物館協会)が取得したものである。この船は公開されており、リッチモンド博物館協会のボランティアの人が詳しくツアーを行ってくれる。
レッド・オーク・ビクトリー号
Marina Bay Park(マリーナ・ベイ公園)には、自由の船のスケルトンをモチーフにしたロージーたちを讃える記念碑が建てられている。ロージーの”We Can Do It”(やればできる)のスピリットは現在もアメリカの働く女性に引き継がれている。
ロージー・ザ・リベター記念碑
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)