ニューヨークのマンハッタン島の沖にGovernors Island(ガバナーズ島)と呼ばれる島がある。ここは1996年までコーストガードの基地が置かれていた島で、現在は国立公園局が管理している。この島はコーストガードの基地になる前は、陸軍の東部地区の司令部やニューヨーク港防衛の拠点として複数の砦が置かれた場所であった。現在は夏季に島内のツアーなどに限定的に公開されており、そのさらなる利用計画が検討されているところである。
もともとこの島は、1611年オランダ人探検家Adriaen Block(エードリアン・ブロック)によってNoten Eylant(ノッテン島)と名付けられた島で、オランダのニューヨーク植民地に上陸する植民者たちの上陸地点として利用された。1698年に、正式にニューヨークがオランダ領からイギリス領になると、ノッテン島はガバナーズ島と改名された。草原が広がるこの島は、ニューヨーク知事(ガバナー)の保養地に最適ということでこの名前が定着した。1702年にはニューヨーク知事のEdward Hyde(エドワード・ハイド)が高台に屋敷を構えた。
独立戦争が始まり、東海岸有数の貿易港であったニューヨークは最初の決戦の場所となった。1776年4月、アメリカ軍はガバナーズ島に防御用の砦を築き始めた。しかし、8月27日のBattle of Long Island(ロングアイランド島の戦い)でジョージ・ワシントン率いるアメリカ軍はイギリス軍に敗れ、ニューヨークを明け渡さざるをえなくなった。その後、イギリス軍は7年以上にわたりニューヨークを占拠し続けた。この反省に立ち、独立後は、ニューヨークの防衛強化が実施された。マンハッタン島の
Castle Clinton(クリントン城)などのほか、ガバナーズ島には1794年には独立戦争時の土塁の上に星型のFort Jay(ジェイ砦)が建設され、1808年には城壁などが強化された。ジェイ砦は、大陸会議の議長、初代最高裁長官などを務めた
John Jay(ジョン・ジェイ)に由来する。これに加えて1811年にはCastle Williams(ウィリアムス城)が設置された。こちらは設計者である初代陸軍士官学校校長のJonathan Williams(ジョナサン・ウィリアムス)に由来する。英米戦争の際には、これらの砦を含め5つの砦で固められたニューヨーク湾にイギリスが攻撃をしかけることはなかった。
ジェイ砦
ウィリアムス城
1821年にガバナーズ島は東部軍の司令部が置かれ、1833年には武器庫が置かれた。南北戦争時には、ガバナーズ島は連邦軍兵士募集の場となり、ウィリアムス城は南軍の捕虜収容所として用いられた。戦後には東海岸方面の司令部が設置され、砦の役割はニューヨーク防衛の出先機関から陸軍司令部に変化した。この役割の変化を反映して、ガバナーズ島には士官用の宿舎、映画館、教会、学校など、コミュニティーが形成されていった。今日でもその痕跡を見ることができる。1909年にはライト兄弟による最初の水上飛行が行われ、航空機はガバナーズ島を出発し、自由の女神を回って帰還した。この頃にはマンハッタン島のLexington Avenue Subway(地下鉄レキシントン通り線)の工事で生じた土砂を用いて、ガバナーズ島を南に大幅に拡張した。第1次世界大戦時には補給所としての機能を果たし、第2次世界大戦時にはノルマンジー上陸作戦の初期の計画立案が行われた。1966年から30年間はコーストガードの大西洋方面司令部が置かれ、世界最大の海上保安基地となった。1988年にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の米ソ会談がこの島で行われている。
この島には夏の間だけ、マンハッタン島からフェリーが運航され、ツアーなどが可能となっている。この島からは普段あまり見ない角度でマンハッタンを眺めることができる。
(国立公園局のHP)