Fossil Butte National Monument
Fort Laramie National Historic Site
Devils Tower National Monument
Yellowstone National Park
John D. Rockefeller, Jr. Memorial Parkway
Grand Teton National Park


ワイオミング州の南西部にFossil Butte(化石のビュート(丘))と呼ばれる場所がある。ここにはGreen River Formation(グリーン・リバー層)と呼ばれる今からおよそ5,000万年前に形成された地層がある。グリーン・リバー層は、氷河期以前の新生代の始新世植物、昆虫、爬虫類、鳥類、哺乳類、魚類の化石が豊富に保存された地層である。この化石の丘は、Fossil Butte National Monument(化石の丘国定公園)として保存されている。
現在の乾燥した地形を見ると想像がつかないが、今から5,000万年前には、ここに長さ50マイル(80km)、幅20マイル(32km)ほどの湖が存在した。この湖は温暖な気候の中、やしの木、糸杉、イチジクなどの亜熱帯性の植物に取り囲まれていた。その周囲は山が取り囲み、山の低いところにはブナ、カエデ、樫、ヤナギ、シダなどが生息し、高度が高くなるとモミやトウヒの森となった。この湖には、ワニ、カメなどが生息していた他、
Gar(ガー)、ヘラチョウザメ、エイ、
bowfin(ボウフィン)、
Perch(パーチ)、ニシン、
Mooneye(ムーンアイ)などの祖先・親戚が泳いでいた。水辺には犬の大きさ程度の馬の仲間やコウモリ、猿の仲間が住んでいた。この湖がかつてあった地層からは、化石が大量に検出されていることから、この湖はFossil Lake(化石湖)と呼ばれている。化石湖の一部が化石の丘国定公園として保存されている。
グリーン・リバー層は石灰岩、泥岩、火山灰から成る層であるが、どのようにして化石が形成されたかは確定しておらず、説の段階を超えていないが、湖の底に横たわった魚や動物などの死骸の上に炭酸カルシウムが降り注ぎ、これが保護膜となって化石が形成されていったものと推測されている。とりわけ25種類に上る魚類の化石は完全な形を保っており、淡水魚の化石がこれだけの種類しかも完全な形で採集できる場所は他にはない。とりわけ魚の群れごと化石になった珍しい標本も採集されている。なぜ魚の群れが群れごと化石となっているか、古生物学者を悩ませ続けている。まさに、化石の丘公園から採集された化石は、石灰岩の中に当時の湖の様子を見事にパッキングして再現して見せてくれている。
グリーン・リバー層の発掘は120年前から続いており、専門家、アマチュアを問わず、化石ハンターが発掘を行い、その成果は、ニューヨークの自然史博物館、スミソニアンの自然史博物館、ワイオミング大学の地質学博物館などで目にすることができる。化石の丘国定公園のビジターセンターにも80種類あまりの化石が展示されており、ワニ、カメの化石やエイや魚の群れの化石は一見の価値がある。公園内にはかつての発掘現場まで続くトレールも整備されている。化石ファンの方はどうぞ。

化石の丘
(国立公園局のHP)


1834年に毛皮商人William Sublette(ウィリアム・サブレット)は、現在のワイオミング州南東部のLaramie(ララミー)川とPlatte(プラット)川の合流地点の近くに取引所(フォート・ウィリアム)を設け、近くに住むスー族、シャイアン族とバッファローの毛皮の取引を開始した。1836年には、この地方の毛皮取引に従事する
アメリカン毛皮会社がこの取引所を買取り、一大取引所となった。独占は長く続かず、1841年には近くにフォート・プラットが開設されるに至り、危機感を覚えたアメリカン毛皮会社は、取引所の大改装を行い、フォート・ジョンと名付けた。しかし、この取引所のことを誰もが地名にちなみフォート・ララミーと呼んだ。この辺りの経緯は、個人商店を大手スーパーが買取り、近くにライバルが参入してきたとたんに、旧商店に大幅リノベーションを行い、新装開店するのと違わない。当時の西部にも競争原理は働いていた。
同じ頃、Thomas Fitzpatrick(トーマス・フィッツパトリック)が案内するオレゴンへ向かう団体がフォート・ララミーを通りかかった。オレゴンへと向かう開拓者は年々増加し、さらに宗教の自由を求めるモルモン教の人々が加わり、さらに金の夢を見て西へと向かう探鉱者が加わり、最盛期には年間5万人以上がこのオレゴンへと向かう道(
オレゴン・トレール)を利用した。旅程を考えれば、家畜への牧草の供給を考えなければならないし、かといって夏をまって出発するとロッキー山脈越えが秋になり、雪に行く手を阻まれてしまうため、フォート・ララミー付近は初夏に混雑することとなる。この結果、毛皮取引所の機能に加えて、休憩所・商店としての旅行者へのサービスの提供が重要な役割を占めることとなる。
しかし、西部に向かう人々が増えることにより、このルートを伝統的な狩場とする原住民との衝突が増えていく。原住民の兵士のうち血気盛んな若者は、幌馬車を襲い、通行料を求めるようになった。このため、西部開拓者の旅行の安全を確保することが必要となり、1849年には、陸軍がフォート・ララミーを買収し、軍事拠点に転換した。軍事的な衝突は、双方が必ずしも望むものではなく、1851年にはフィッツ・パトリックの仲介により、1万人のスー族、シャイアン族、アラパホ族ほかの原住民が会し、1851年ララミー砦の条約が成立した。これにより、原住民側が幌馬車隊を襲わないことを約束する代わりに、合衆国がそれぞれ決められた原住民の領土を保障し、50年間、年$50,000の補償を支払うことが決められた。
これにより平和は保たれるかと思われたが、そうは行かなかった。原住民側の代表は、部族全てを代表する権限が与えられているわけではなく、何人かのリーダーの一人に過ぎない。このため、旅行の安全が完全に保たれたわけではなく、連邦政府側も一方的に原住民への補償金の歳出期間を削減するなど、双方の信頼関係は長続きしなかった。1854年にはJohn Grattan(ジョン・グラッタン)少尉率いる28名のパトロール隊が幌馬車からの牛泥棒の容疑でスー族の村に犯人の引渡しを要求し、金銭解決を求めた原住民側が拒否すると、発砲し、パトロール隊が返り討ちにあり全滅するという事件が起きた。これに対して、翌年、
William Harney(ウィリアム・ハーニー)准将率いる部隊がネブラスカのAsh Hollow(アッシュ・ホロー)で宿営中の原住民を襲撃し、86名を殺害し、70名を人質に奪い去り、ララミー砦にスー族を集め、トレールの安全が保たれない限り、さらなる軍事行動をとると威圧した。これらの事件を機に、連邦政府とスー族との関係は決定的に悪化した。そして1863年に、モンタナ州で金が発見されると、さらに多くの人が押し寄せるようになり、かつ原住民の伝統的な狩り場がさらに侵されるようになると、対立は決定的となった。
当初、連邦政府は、力により原住民をねじ伏せる方針をとり、ユタ地区の司令官であった
Patrick Conner(パトリック・コナー)准将を派遣し、原住民掃討に当たらせた。コナーの軍は、1865年8月にワイオミング北のTongue River(タング川)付近でアラパホ族をとらえ、襲撃し、勝利を収めたが、これ以上に戦果を上げることができなかった。1866年にララミー砦でスー族との和平交渉に臨んだが、交渉がまとまる前に、合衆国は増兵を行い、続いてモンタナの金鉱へのルートであった
Bozeman Trail(ボーズマン・トレール)を守るためのFort Phil Kearny(フィル・カーニー砦)やFort C. F. Smith(C.F.スミス砦)の建設にとりかかったため、交渉は決裂し、
Red Cloud(レッド・クラウド)酋長率いるスー族を中心とする原住民は新しくできた砦への攻撃をしかけるなど、武力闘争は続いた。中でもWilliam Fetterman(ウィリアム・フェエターマン)大尉率いる81名を誘き出し、返り討ちにあわせた事件は、連邦政府の政策を和平へと転換させる契機となった。レッド・クラウド酋長は、米国政府の真意を見極めるため、和平交渉につく条件として新しく建設した砦からの兵の引き揚げ及び砦の放棄を要求した。米国政府もこれを飲み、結果、新たな条約がララミー砦で結ばれることとなった。この条約は、1868年ララミー砦条約と呼ばれ、ボーズマン・トレールを閉鎖し、スー族らのサウスダコタ西部の居住区を保障するとともに、彼らのワイオミング州北東部、モンタナ州南東部の一帯での狩猟に保障を与えた。
しかし、この条約もブラックヒルで金が発見されるに至り事実上反故にされ、再び戦闘状態に入る。このときもララミー砦が合衆国軍の前線基地として使用された。(これ以降の経緯は、
リトル・ビッグホーン戦場跡国定公園をご覧下さい。)スー族らとの戦闘が終結するに至り、ララミー砦もその必要性が低下し、1890年には放棄されることとなる。
1890年の放棄後は多くの建物が西部開拓者にオークションで払い下げられた。このため、多くの建物が残り、在りし日の姿にリノベーションされている。
(国立公園局のHP)


草原と松林が広がるワイオミングの台地に突如としてそびえ立つ岩山。プレーリーの原住民は、Bears Lodge(熊の宿)と呼び、神聖な場所として崇拝の対象とした。今では、Devils Tower(デビルズ・タワー:悪魔の塔)と呼ばれている。神聖な霊の宿る場所なのか、果たして悪魔の住処なのか。私にはどちらかというと、石で作ったプリンのように見える。いずれにしてもその奇妙なフォーメーションは、国立公園ユニットの中でも際立って特異な存在である。このため、1906年にセオドア・ルーズベルト大統領は、アメリカで初めてのNational Monument(国定公園)に指定した。

デビルズ・タワー
キオワ族の伝説によると、7人の女の子が遊んでいたところ、熊に襲われた。熊から逃げる途中に岩があり、熊から助けてくださいと祈りながら、その岩に飛び乗ったところ、岩がぐんぐん高く伸びていき、熊は飛びかかり、登ろうとしたが、ずるずると下に落ちてしまった。7人の女の子は助かり、今のプレアデス星団(すばる)となり、その岩には熊の爪あとが残ったという。
デビルズ・タワーが正確にどのようにしてできたかについては、なお謎の部分が残っている。この辺りは、1~2億年前は海の底であった。海がこの土地を覆ったり、引いたりしながら、砂、泥などを蓄え、堆積岩を形成していった。ちょうどロッキー山脈やサウスダコタのブラック・ヒルが隆起し始めた、およそ6,500万年前に地下のマグマがこの堆積岩に侵入した。有力説によれば、マグマは堆積岩に侵入したものの、地上までは到達せず、長らく地下にとどまっており、その後の雨や雪の浸食により、周りの頁岩や砂岩などの堆積岩が削り取られ、中の硬い火成岩が剥き出されていったと考えられている。デビルズ・タワーの周辺に岩石の破片が散らばっていることから、デビルズ・タワー自体にも浸食活動が及んでおり、いつの日にかはもっと小さなものになっている可能性が高いという説もある。
現在は、地面から867フィート(267m)突き出ており、ロッククライマーたちの格好の対象となっている。遠くからデビルズ・タワーを見ると、よく見えないが、双眼鏡で見ると、その垂直な絶壁にあちこちクライマーがへばりついているのが見える。毎年4,000人ほどがチャレンジする模様で、通常登るのに4-6時間かかるが、これまでの記録は何と18分というつわものがいるという。1937年6月28日に、American Alpine Club(アメリカ・アルペン・クラブ)の3人が登ったのが最初の登頂記録で、そのときは4時間48分を要したとのこと。素人の私から見るとこんな垂直の岩にどうして登れるのか不思議でならない。死亡事故もこれまで5件起きている。原住民からは、神聖な山に登るとは何事かとの批判もあり、原住民の諸行事が多い6月は、ロッククライミング自粛月間となっている。
デビルズ・タワー国定公園にも、公園入り口付近にプレーリー・ドッグタウンが存在する。素人は、デビルズ・タワーを登れないかもしれないが、周りを1周することはできる。デビルズ・タワーの頂上を遠めに眺めながら、愛嬌のあるプレーリー・ドッグを楽しむというのが無難かもしれない。
(国立公園局のHP)(国立公園局の地図)PDFです。


今まで訪れたアメリカの国立公園で一番よかったところはどこかと聞かれることがある。そのときには、いつもYellowstone National Park(イエローストーン国立公園)が一番よかったと答えている。イエローストーンは、私にとって国立公園の王様のような存在だ。イエローストーンのどこがよいかと聞かれると、なかなか一口で答えるのは難しいが、イエローストーンは事実上4つの国立公園が1つになったような公園で、どこの国立公園にもないものがイエローストーンにはあるからと答えている。4つの公園というのは、イエローストーンを十字に区切ると、南西、北西、北東、南東でそれぞれ違う特色のある地域が形成されているからだ。①南西に位置するのは、Old Faithful(オールド・フェイスフル)を中心とする間欠泉の公園、②北西に位置するのは、Mammoth Hot Springs(マンモス・ホット・スプリングス)を中心とする石灰岩の地層、③北東に位置するのは、美しい滝や野生動物が豊富な谷、④南東に位置するのは、ボートや釣りが楽しめるYellowstone Lake(イエローストーン湖)と分けることができるだろう。①と②は、火山性活動の一環なので、①と②をくくり、3つに分けることもできるだろう。他の国立公園で見ることができないものは、間欠泉と豊富な野生動物、特にバッファローの生息数は抜きん出ている。1872年にアメリカ最初の「国立公園」として指定されたのには、それなりの理由がある。3,472平方マイル(8,987平方キロ)の広さを有し、48州では2番目に大きな国立公園であり、見るべき場所も数多くあり、とても1日では周れない。
イエローストーンは、火山活動により成り立っている国立公園である。過去、およそ200万年前、120万年前、60万年前に大規模な噴火を起こしており、現在では火山らしきものが見られないのは、過去の大噴火で大量の火山灰、軽石などを放出して崩壊し、今では28マイル(45km)×47マイル(75km)の巨大なカルデラを形成しているためである。阿蘇山のカルデラが18km×25kmなのでその巨大さがわかるだろう。地下のマグマは現在もアクティブで、様々な地上現象を引き起こしている。火山性の地震もたびたび生じている。
間欠泉、ホット・スプリング、
噴気孔、
Mudpot(泥水泉)などの熱水活動は10,000箇所以上を数え、全世界の熱水活動のおよそ半数がこのイエローストーンに集結しており、間欠泉は300以上数えられており、全世界の間欠泉のおよそ60%がこのイエローストーンに集中している。地下のマグマによって地下10,000フィート(3000m)で200Cの高温に熱せられた地下水が圧力が高まり、地上へと上昇し、様々な熱水現象を生んでいる。間欠泉の場合には、高温高圧の地下水が流紋岩の層で一旦たまり、このとき流紋岩からケイ石が水に溶け出してその先の地上への抜け道の壁に付着し、抜け道を極めて細くしてしまう。このため、地下水の圧力はさらに急激に高まり、地上に達する頃には非常に高温、高圧の状態となる。そして地上に達すると急激に圧力が下がり、体積が急激に拡張し、噴水のように噴出す仕掛けとなっている。高温に熱せられた地下水の圧力が徐々に下がって地上に出て行く場合には、ホット・スプリングとなる。水分が少ない場合には、地下で水蒸気と化し、噴気孔から水蒸気として出てくる。地下水が硫化水素と結びつく場合には、硫酸を形成し、地下の岩石を溶かし、地上に出てくるときには泥水泉を形成する。
間欠泉は、オールド・フェイスフルから北にNorris Geyser Basin(ノリス間欠泉盆地)に至る各所で見ることができる。オールド・フェイスフルは、イエローストーンの看板間欠泉で、その定期的な噴水から名前がついている。現在では平均92分の周期で噴水しているが、間隔は45分から110分までバラツキがあるようだ。噴水の高さは100から180フィート(30-55m)にのぼり、およそ1分半から5分間継続する。

オールドフェイスフル
オールド・フェイスフルのあるUpper Geyser Basin(上流間欠泉盆地)には、
Castle(キャッスル)、Grand(グランド)、
Daisy(デイジー)、
Riverside(リバーサイド)の4つ周期的に噴水する間欠泉がある。小さな間欠泉がいくつもあり、前を歩いている途中で突然噴水しないか、少しスリルがある。

グランド間欠泉
また数々のホット・スプリングがあり、中でも有名なのは、トレールの一番先にあるMorning Glory(モーニング・グローリー:朝顔)と呼ばれるものだ。

モーニング・グローリー
また、北に向けて、
Midway Geyser Basin(中間間欠泉盆地)、
Lower geyser Basin(下流間欠泉盆地)、最も古く最も熱い
ノリス間欠泉盆地と間欠泉の見所が続いている。ノリス間欠泉盆地にある
Steamboat Geyser(スティームボート間欠泉)は、300-400フィート(90-120m)吹き上げた記録が残っている。
その先さらに北に車を進めるとマンモス・ホット・スプリングスに到着する。ここでは、Mammoth Terraces(マンモス・テラス)と呼ばれる石灰岩の白色のテラスのような地層を見ることができる。地下水が熱せられる際にマグマ室か漏出する二酸化炭素と結びつき弱酸性の水となる。これが地中の石灰岩を溶かし、地上に出る際に、二酸化炭素を放出し、石灰岩を蓄積していく。これが続くと石灰の階段地層を作っていく。ちょうど鍾乳洞と同じプロセスで、地下にではなく地上に石灰岩のフォーメーションを形成している。マンモス・ホット・スプリングスでは暖かいせいかエルクの群れが見られる。

マンモス・テラス
その先にさらに北に車を進めると丁度北緯45度のところにBoiling River(沸騰した川)と呼ばれる露天風呂がGardiner(ガーディナー)川の脇にある。水着を着ていけば、露天風呂を楽しむことができる。
自然の美を楽しみたい場合には、Canyon Village(キャニオン・ビレッジ)に車を走らせよう。ここには、イエローストーン川が刻み込んだThe Grand Canyon of the Yellowstone(イエローストーンのグランドキャニオン)と呼ばれる峡谷が20マイル(32km)にわたり続いており、この峡谷にある
Upper Falls(上流の滝)とLower Falls(下流の滝)の2重の滝は、見る人に感動を与える。特に下流の滝は、308フィート(94m)と段差もあり、とても絵になる。

下流の滝
公園内には、この他、北東部のRoosevelt Lodge(ルーズベルト・ロッジ)の近くの
Tower Fall(タワー滝)や南西部のMadison(マディソン)の近くの
Gibbon Falls(ギボン滝)や
Firehole Falls(ファイヤーホール滝)など各所で滝を見ることができる。また、ルーズベルト・ロッジの近くには
化石となった太古のレッドウッドを見ることができる。
野生動物が好きな方は、キャニオン・ビレッジの南にあるHayden Valley(ヘイデン谷)又はLamar Valley(ラマー谷)に向かおう。ここには、バッファローの大群が生息している。ときどき、道路に上がってき、道を完全にふさいでしまうこともある。巨体のバッファローが泥だまりの中にひっくり返って背中をこすりつける様はかわいらしくもある。

バッファローの群れ
エルクの雄やムースなどの大型の野生動物は、昼間よりも、朝方や夕方に現れやすい。運がよければ、グリズリー・ベアーやブラック・ベアーが見られるかもしれない。路上に止まっている他の車に注意しよう。単にエルクやバッファローを見ているだけかもしれない(これらの動物はイエローストーンでは全く珍しくなく、またかという感じになる。)が、熊かもしれない。熊の場合には、危険であることと、交通渋滞が生じることから、レンジャーが現場にいる。駐車している車が多く、レンジャーがいる場合には要注意だ。
イエローストーンは冬でも地下のマグマの活動のため、暖かく、野生動物の楽園となっている。特にエルクは、天敵もいないため、数が増えつづけ、あまりに増えすぎて餌場がなくなり、大量に餓死するというサイクルを続けていた。このため、国立公園局は、周囲の牧場主などからの激しい反対の中、1995年にカナダからオオカミを導入し、自然の摂理に従った野生動物のコントロールを行っている。オオカミは定着し、周囲の被害も少なく、このプログラムも成功しているようだ。
グランド・ティートンから
ジョン・ロックフェラー2世記念パークウェイを北上してイエローストーンに入ると、
焼けただれたLodgepole Pine(ロッジポール・パイン:松の一種)の山に出くわし、驚くかもしれない。これは、1988年の大火の名残で、そのときにはイエローストーンの敷地の36%が火災の被害に遭った。国立公園局は、火災が敷地の外に出ないようにコントロールする消火活動は行ったものの、公園内では燃えるままにしておいたため、大きな批判を浴びた。しかし、このような大火は、イエローストーンでは周期的に300年に一度ほど発生しており、火災の熱がなければ、この地域の松は発芽しないことが知られており、国立公園局では自然の摂理に従った公園運営を行ったものである。今では、この松林も少しずつよみがえりつつある。
公園の南東部には、イエローストーン湖がゆったりと水をたたえ、ウォーター・レクリエーションが好きな人を待っている。イエローストーン湖は、標高7,000フィート(2,100m)以上の高地にある湖としては全米で最も広い湖である。イエローストーン湖は、深いところでは390フィート(119m)もある。この湖の深い湖底では、熱水が沸き上がってきており、丁度オールドフェイスフル周辺が湖底に沈んだような地形となっている。しかし、全体を暖めるほどにはなく、水温が低いため、水泳は禁止されている。この湖は
Cutthroat Trout(カットスロート・トラウト)という鱒の一種が豊富なことで有名で、太平洋に生息するこの鱒が大西洋側に流れる川しかもたないイエローストーン湖になぜ住んでいるのかは、謎となっている。

イエローストーン湖
このように変化に富んだイエローストーン国立公園は、国立公園の王様という気がしませんか。
(国立公園局のHP)(国立公園局の地図)(PDF)


Parkway(パークウェイ)は、道路兼公園で、道路を車で移動しながら、自然や史跡にアクセスすることができるように造られている。道路自体にも造園技術が取り入れられ、美しい景色を楽しみながらドライブできるように工夫されている。アメリカ全土でいくつかのパークウェイが国立公園のユニットの扱いを受けており、グランド・ティートン国立公園とイエロー・ストーン国立公園を結ぶ27マイル(43km)のJohn D. Rockefeller, Jr. Memorial Parkway(ジョン・D・ロックフェラー2世記念パークウェイ)もその一つ。パークウェイは、グランド・ティートン国立公園と一体的に運営されている。

ジョン・D・ロックフェラー2世記念パークウェイ
John D. Rockefeller, Jr. (ジョン・ロックフェラー2世)は、スタンダード・オイルの創始者
ジョン・ロックフェラーの一人息子。大富豪ロックフェラー家の2代目の頭。スタンダード・オイル、USスティールのCEOを務め、現在のJP Morgan Chase(JPモルガン・チェイス)銀行のもととなるChase National Bank(チェイス・ナショナル銀行)の大株主。ニューヨークのロックフェラーセンタービルを建てた人物。など、ビジネス界における彼の業績を数え上げると切りがないが、一方で慈善活動家として多くの事業に私財を投げ打っている。国際連盟の活動に財政的援助を与えたり、現在の国連ビルの土地を寄付したり、ニューヨークのMOMAの設立に財政的支援を与えたり、などこちらも挙げれば切りがない。しかし、このグランド・ティートン国立公園とイエロー・ストーン国立公園というアメリカの国立公園を代表する2つの公園を結ぶパークウェイに彼の名前がつけられているのは、彼が大富豪であったからではない。彼はその慈善活動の一環として、豊かな自然の後世代への継承に力を入れ、いくつかの国立公園の設立・拡大に多大なる貢献をしているためである。
グランド・ティートン、
アカディア、
グレート・スモーキー・マウンテン、
シェナンドアの各国立公園の設立、
イエローストーン国立公園の拡大などは、彼の貢献なしにはありえなかった。
例えば、ロックフェラー2世は、グランド・ティートンの場合には、ジャクソン・ホールの35,000エーカー(142平方キロ)の土地を購入して寄贈し、今日のグランド・ティートン国立公園の設置に協力している。彼の協力がなければ、グランド・ティートンはティートンの山々とその東側の湖だけの小さな国立公園のままであっただろう。1920年代に、イエローストーン周辺の松林が伐採の危機にあったときも、100万ドルで15,000エーカー(61平方キロ)の松林を買い上げて寄付し、イエローストーンの敷地拡大に貢献している。グレート・スモーキーの原生林が伐採の危機に面したとき、500万ドルを寄付し、材木会社の買収、国立公園の設立に貢献している。シェナンドア国立公園の設置に当たっては、公園敷地の買収用の費用として16万ドルを寄贈している。アカディア国立公園については、自らの夏の別荘地であったこともあり、11,000エーカー(45平方キロ)の土地を寄贈するとともに、1915年から1940年にかけて馬車用の57マイル(91km)に及ぶ周遊道を建設し、寄贈している。この馬車用の道は、アカディアの主要なハイキング・コースとなっている。このほか、
メサ・ベルデ、グランドキャニオン、イエローストーンの博物館建設費用を寄贈している。
このような彼の自然保護活動への理解と協力を見れば、特にゆかりのあるグランド・ティートンとイエローストーンを結ぶ道路に彼の名前が付されたとしても不思議はないだろう。
彼の自然保護への熱意は、息子のLaurance(ローランス)に引き継がれる。ローランスについては、
Marsh-Billings-Rockefeller Naional Historical Park(マーシュ/ビリングス/ロックフェラー国立歴史公園)のところで。


アメリカの国立公園で最も美しい公園はどこかと聞かれたら、私が真っ先に挙げるのは、ここGrand Teton National Park(グランド・ティートン国立公園)だろう。そびえ立つ均整の取れたティートンの山々は、本当に絵になる。実際映画「シェーン」の舞台となったことは有名である。天気のよい日には、ティートンの山々がきらきら輝く湖面に反射し、息を飲むほど美しい。国立公園のスーパーモデルと言っておこう。
しかし、このティートンの山々は周りの風景から突出しており、まるで天から降ってきてそこに置かれたように唐突観がある。6,000万年前から7,500万年前ころにはまだ山はなく太古の海底で形成された堆積岩の層が横たわっていたが、1,300万年前から1,700万年前ころに巨大な断層に沿って、地震により、断層の一方は大きく隆起し、もう一方は沈み込む垂直方向のずれが生じた。この運動が続き、隆起した部分はティートンの山々となり、沈んだほうは山々の東側のJackson Hole(ジャクソン・ホール)の谷となった。これに氷河期の氷河が山に磨きをかけ、削り取った岩や土砂を谷に積み重ねっていった。現在では標高差はおよそ7,000フィート(2,100m)となっている。アイダホ州からもティートンの山々は遠くに眺めることができる。氷河の後退により谷には多くの氷河湖が残され、ティートンの鏡となっている。
グランド・ティートンにはイエローストーンに行くついでに寄って行く人が多いかもしれないが、ぜひ1日は確保して、この美しい風景を満喫したい。グランド・ティートンの山々は大きく分けて2つの峰からなる。南側がグランド・ティートン山(4,197m)を中心とする峰で、中央の尖がった突き出た山がグランド・ティートン山である。北側は、Mount Moran(モーラン山)(3,842m)を中心とする峰で、グランド・ティートン山に比べると少し丸っこい感じがする。これらのティートンの山々は朝見ても、昼見ても、夕方見ても美しい。

左側の高い山がグランド・ティートン山、右側がモーラン山

モーラン山
Jenny Lake(ジェニー湖)から見るティートンの山々は、湖とのコントラストが冴え、とてもきれいだ。双眼鏡で見ると岩肌に糸を引くように雪解け水が滝になって流れていくのが見える。

ジェニー湖から
ティートンの山々をハイキングしたり、映画の登場人物になった気になって乗馬を楽しむのもいいだろう。乗馬は経験がない人でも馬がかしこいので大丈夫だ。野生動物も豊富に見られ、エルクやムースなどが見られる。公園からは少しはずれるが、Snake River(スネーク川)の川下りものんびり下るものから急流を下るものまで幅広くある。スネーク川の公園の南端の部分は、屈指のBald Eagle(ボールド・イーグル)の生息地となっており、川を下りながら、何匹も見ることができる。ペリカンも数多く生息している。
公園内には、
Cunnigham Cabin(カニングハム小屋)と呼ばれる1890年当時の開拓者の小屋を再建したものがある。この場所で、1893年に2名が馬泥棒の容疑で自警団に殺害されるという西部劇そのままの事件が起きている。西部の開拓時代のにおいが今も残っている。
(国立公園局のHP)(国立公園局の地図)(PDF)
ティートンのきれいな写真は、
ここで見ることができます。
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