コロラド州、ニューメキシコ州、ユタ州、アリゾナ州の4州が接する場所、Four Corner(フォー・コーナー)の近くに私有地の敷地の一角に隠れた原住民の遺跡がある。ビジターセンターもなければ、国立公園局が設置する道標もない。地主が立てた標がわずかにここに遺跡が眠っていることを知らせてくれる。この近くを訪れる観光客はおろか、近くの住民さえも多くはその存在を知らないだろう。Yucca House National Monument(ユッカ・ハウス国立遺跡)は、国立公園局ユニットの中でも最も知られざるユニットの一つである。
それもそのはず、この原住民の住居跡は発見されて以来、まだ発掘もされていない。いわばタイム・カプセルに埋められたままの状態となっている。この遺跡は、地元のユート族、ナバホ族にはその存在を知られていたが、初めて記録に残されたのは、1877年、William Holmes(ウィリアム・ホルムズ)の手による。ホルムズはその場の崩れ落ちた壁や散乱する石からこの遺跡の間取りを推定した。ホルムズは、この遺跡はUpper House(Western Complex)と呼ばれる盛り土の下に埋もれた広範な地区とそれと少し離れた場所に位置するLower Houseと呼ばれる2つの地区に分けられると考えたが、この両者の地区の関係は必ずしも明らかではない。
Upper House(Western Complex)
この地に移住してきた開拓者たちは、
Aztec Ruins National Monument(アステカ遺跡国立遺跡)と同様に、この遺跡はメキシコのアステカ文明の担い手が残したものと考えていたが、同じくアナサジ族が残したものと考えられている。フォー・コーナーの周辺には、1150年から1300年ごろにかけてとうもろこし、豆類、瓜類を栽培する民族が暮らしていた。このグループに属する人々がここユッカ・ハウスでも生活していたものと考えられている。この地に住んでいた人々は、他の遺跡と同様、1300年ごろには姿を消し、他の地に去っていった。
ユッカ・ハウスの名前は、ユッカ・ハウスの背景にそびえるSleeping Ute Mountain(スリーピング・ユート山)が原住民たちから
ユッカの生える山と呼ばれていることに由来する。このユッカ・ハウスも、現在では、わずかにLower Houseの北東の壁の一部だけが露出し、遺跡があることを知らせてくれる。まだ発掘されていないこの遺跡の前に立つと、考古学者が目にする発掘前の遺跡の様子が見てとれ、考古学者の気持ちが分かるかもしれない。
Lower House
(国立公園局のHP)