アリゾナ州には多くの原住民の遺跡が残されており、ここMontezuma Castle National Monument(モンテズマ城国立遺跡)もその一つ。メキシコのアステカ帝国の王と関係があると信じられて、モンテズマという名前が付けられたが、実際には、Sinagua(シナグア)族と呼ばれる原住民が12世紀初頭に築いた断崖住居。シナグア族は現在のアリゾナ州Flagstaff(フラッグスタッフ)からPhoenix(フェニックス)にかけて500年から1425年頃まで居住した部族。シナグアとは「水のない」という意味で、アメリカ人考古学者Harold Colton(ハロルド・コルトン)によって命名された。シナグア族は、謎の部族
Anasazi(アナサジ)族の一部とも言われている。モンテズマのあるBeaver Creek(ビーバー・クリーク)の本流であるVerde(ヴェルデ)川が流れるVerde Valley(ヴェルデ谷)一帯には、もともと
ホホカム族が居住し、シナグア族はその周辺の高台に竪穴式住居を築いて狩猟と簡易な農業により暮らしていたが、ホホカム族が北に移動した後、1125年頃この谷に移住し、灌漑農業を始めるとともにAdobe(アドゥブ)と呼ばれる砂、粘土、わらを日干しにして固めたレンガで造ったプエブロ式住居に居住するようになった。ヴェルデ谷には最大で6,000人から8,000人ほど生活していたと推測されており、モンテズマの人々もその集団の一部と考えられている。しかし、1400年頃にはアナサジ族と同様に姿を消しており、諸説を呼んでいる。旱魃、疫病の流行、土壌劣化などが原因として挙げられている。
モンテズマ城国立遺跡は、70フィート(21m)の高さの断崖の窪地に12世紀に造られたプエブロ式住居で、5階建て20の部屋からなり、およそ50人程度が生活したと推定されている。なぜこのような高台に住居を築いたのかははっきりしない。断崖には、はしごを用いて上り下りしていたと推察されている。このプエブロ式住居は入り口が屋根にあり、屋根からはしごを使って下りていった。当時の人々は目的の場所にたどり着くまでに何度もはしごを使わなければならなかったようだ。
モンテズマ城遺跡
モンテズマ城国立遺跡の歴史は長く、既に100年以上経過している。遺跡の保存状態もよく、ヨーロッパ人が訪れる前の貴重な原住民の足跡を残す遺跡であることから、早くから保存の必要性が指摘され、1906年に歴史的な遺跡としては一番早く国立遺跡の指定を受け、今日に至っている。
残念ながら、断崖を登って現物に触れることはできないが、下から眺めるだけでも、当時の様子を思い浮かべることができる。
なお、モンテズマ城国立遺跡には、1万1千年頃前に石灰岩の洞窟が陥没してできたMontezuma Well(モンテズマの井戸)と呼ばれる泉があり、砂漠の中のオアシスとしてユニークな生態系を形成している。
ホホカム族やシナグア族が農耕用の灌漑用水に使用したとされている。
モンテズマの井戸
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)