1969年7月20日は、人類史上記念すべき日となった。アポロ11号が月面に着陸し、二ール・アームストロング船長は人類で初めて月の上を歩いた。しかし、この出来事を信じず、二ール・アームストロング船長の月面歩行のシーンは、実はアイダホのとあるところで撮影されたものだと主張する人がアメリカにいると聞いたことがある。その場所が本日紹介するCraters of the Moon National Monument and Preserve(クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園・国立保護区)である。辺りは一面暗黒の岩だらけの世界で、
衛星写真(PDF)で見ると、公園のある部分だけが真っ黒となっている。火砕丘、溶岩流の跡、溶岩トンネルなど、火山活動の爪あとがくっきりと残っている。公園の規模は、1,100平方マイル(2,800平方キロ)にも及ぶ。
しかし、これだけの火山活動の痕跡が残っているにもかかわらず、辺りを見回しても火山らしいものは見当たらない。これは、52マイル(83km)にも及ぶGreat Rift(巨大な割れ目)と呼ばれる一連の地表殻の割れ目から溶岩が溢れ出て形成された地形であるためだ。割れ目噴火の例としては、この公園のものが48州で最大の規模のものとなっている。公園内には3つの溶岩台地が含まれている。最も北にある最大のクレーター・オブ・ザ・ムーン溶岩台地(1,600平方キロ)は、60の溶岩流跡と25の火砕丘を含んでいる。15,000年前からの割れ目噴火によって形成され、最も新しい噴火は2,000年前に生じたと推定されている。この他、公園の南側にはWapi(ワピ)溶岩台地(326平方キロ)があり、クレーター・オブ・ザ・ムーン溶岩台地とワピ溶岩台地にはさまれて小さなKings Bowl(キングス・ボール)(3.3平方キロ)と呼ばれる溶岩台地が存在する。これら2つの溶岩台地はいずれもおよそ2,200年前の噴火により形成されたものと推定されている。
公園内には7マイル(11km)の周回道路が整備されており、これを回れば代表的な火山活動の地形を見ることができる。
Devil's Orchard(悪魔の果樹園)と呼ばれる場所には、トレールが整備されており、溶岩流跡のごつごつとした岩の上に植物が生育している姿をみることができる。ループの中ほどには、Inferno Cone(インフェルノ・コーン:地獄の丘)と呼ばれる火砕丘がそびえており、頂上まで登ることができる。わずか0.5マイル(800m)のトレールであるが、傾斜が急であるため、結構息がはずむ。
インフェルノ・コーン
その先には、Snow Cone(スノー・コーン)、
Spatter Cones(スパター・コーン)と名づけられたミニチュア火山を見ることができる。
一番面白いのは、溶岩トンネルである。溶岩トンネルは、溶岩が流れる際に表面が先に冷えて固まり、その中を溶岩が流れてできるトンネルである。これを実際にくぐってみよう。Indian Tunnel(インディアン・トンネル)と名づけられた溶岩トンネルは、延長が800フィート(240m)ほどあり、これをくぐるとちょっとした洞窟探検をしたような気分になれる。懐中電灯を持っていこう。このほかにも、
Dewdrop Cave(デュードロップ洞窟)、
Boy Scout Cave(ボーイ・スカウト洞窟)、
Beauty Cave(ビューティー洞窟)など多くの溶岩トンネルがある。
インディアン・トンネル
また、公園内には、kipuka(キプカ)という古い溶岩流の周りに新しい溶岩流が流れ、古い溶岩流の部分の生態系が島のように残された場所がある。新しい溶岩流がセージの茂みへの他の植物の侵入を防ぎ、特有の生態系を保護している。
このごつごつとした黒い岩だらけの地形を歩くと、地球の上を歩いているというより確かに月の上を歩いているような感じがする。1969年にアポロ14号の飛行士たちは、クレーター・オブ・ザ・ムーンを訪れ、溶岩地形を見分ける訓練をしたそうである。
*国立公園のユニットを数える際には、National Preserve(国立保護区)は別途1と数えることとなっている。従って、クレーター・オブ・ザ・ムーン国定公園・国立保護区のような公園は2つのユニットからなる公園ということになる。一般的に、国立保護区を公園の一部に含む場合であっても、国立保護区の区域にアクセスすることはほとんど不可能である。このため、国立保護区に併設された国立公園や国定公園を訪れる場合には、本体の公園を訪れたことをもってして両方訪れたこととするのが通例となっている。
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)