2005年8月にニューオーリンズを中心とするメキシコ湾岸を襲い、1800人以上の死者が出たハリケーン・カトリーナの被害は記憶に新しい。このハリケーンにより、ニューオーリンズとメキシコ湾を結ぶ運河が決壊し、ニューオーリンズの東部は壊滅状態となり、未だにその傷が癒えていない。19世紀末、同様に洪水により、ハリケーン・カトリーナを上回る死者が出て、壊滅状態となった町がペンシルベニア州にある。町の名前は、Johnstown(ジョンズタウン)。1889年5月31日、降り続く集中豪雨により町の北東14マイル(23km)にあるSouth Fork Dam(サウス・フォーク・ダム)が決壊し、町を押し流し、2,209名の死者をもたらした。Johnstown Flood National Memorial(ジョンズタウン洪水国立記念碑)は、この洪水被害を後世に語り伝える場所として設立された。
当時ジョンズタウンは、鉄鋼業で栄え、3万人の人口を擁する町であった。ジョンズタウンは、Little Conemaugh River(リトル・コネモー川)がStonycreek River(ストニー・クリーク川)と合流する地点につくられた町であった。町の急成長に伴い多くの川岸の樹木は伐採され、川は降雨量が多いと氾濫しやすい状況にあった。リトル・コネモー川の上流には、1853年にペンシルベニア州の
メインライン運河に水を供給するために造られたサウス・フォーク・ダムがあった。サウス・フォーク・ダムは、当時としては世界最大規模の土砂で造られたダムであった。1857年にメインラインと併せてペンシルベニア鉄道に買収されたが、運河は既に時代遅れのものとなっていたため、ダムは使用されず、十分な補修もされないまま、1879年に売却された。これを購入したのが、South Fork Fishing and Hunting Club(サウス・フォーク・フィッシング・ハンティング・クラブ)と呼ばれる会員制のクラブで、Andrew Carnegie(アンドリュー・カーネギー)やAndrew Mellon(アンドリュー・メロン)らのピッツバーグの財界人がメンバーとなっていた。ダムでせき止められてできたLake Conemaugh(コネモー湖)の周辺には、別荘が立ち並び、別荘地となっていたためである。ダムは、実は1862年に排水管の近くかが一度決壊したことがあった。このときは湖の水位が低かったため、大事には至らなかったが、その後も十分な補修が行われないまま、時が過ぎていった。このため、ジョンズタウンの人々は、ダムが危険であることは認識していたが、大雨のたびに危ないと言われながら持ちこたえるため、ダムの危険性に対する感覚が徐々に鈍っていった。
1889年5月30日に、この一帯を集中豪雨が襲った。ジョンズタウンの住民にも注意報が発令されたが、誰も本気に聞くものはいなかった。クラブの技師John Parke(ジョン・パーク)は、10分ごとに3センチずつ上昇するダムの水位に危機感を覚え、土嚢を積み上げるなどの対策をとったが、焼け石に水であった。見る見るうちに水位は上がり、5月31日午後3時10分ごろには、水はダムを乗り越え始めた。ダムは決壊し、雷のような音とともに、時速40マイル(64km)の速さで高さ10mの大洪水が途中にあるものを全て飲み込んで一気にリトル・コネモー川を駆け下りていった。午後4時7分、轟きとともに、大洪水はジョンズタウンの町に押し寄せ、わずか10分ほどで多くの家屋やビルを住人ごと飲み込み、押し流してしまった。悲劇はこれで終わらなかった。引き続き夜にかけて6mの高さの水が下流に向かって流れつづけ、最初の攻撃に耐え忍んだ建物も力尽き流されるものがあった。また、下流にあるペンシルベニア鉄道の石橋付近に洪水で流された無数の建物、機械、貨車、電信柱、樹木などの残骸や家畜などが巨大な塊となって集まっていた。橋のところで流されまいと懸命にしがみつく人も多くいた。しかし、何もかも飲み込んだ巨大な塊は、そこに浮かぶ油に火がつき、一瞬にして巨大な火の塊となった。死者は、トータルで2,209名を数えた。その1/3の777名が身元不明であった。1,600軒の家屋が破壊され、1,700万ドルの被害となった。水が引いても、チフスなどの伝染病が追い討ちをかけた。(洪水の様子は、
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旧ペンシルベニア鉄道石橋
この洪水は、全米に衝撃を与え、全国、18カ国から370万ドルの義捐金や救援物資が寄せられた。また、この洪水は、
Clara Barton(クララ・バートン)が創設したAmerican Red Cross(アメリカ赤十字)が出動する最初の自然災害となった。医師、看護婦らからなる総勢50名のスタッフは、病院、仮設住宅、食料、衣料、薬品などを被災者に提供した。町が被災前の姿に戻るには、5年の月日を要したという。
ジョンズタウン洪水国立記念碑は、かつてサウス・フォーク・ダムがあった場所に建ち、決壊した堤防がそのまま残されている。近代の自然災害であるため、多数の証言や写真が残っており、自然の猛威の恐ろしさと危機への備えの重要性を後世に語り伝えている。
サウス・フォーク・ダム跡
(国立公園局のHP)