ニューヨークのウォール街の一角、ニューヨーク證券取引所の対面に、ニューヨーク観光で疲れた足を休めるのに丁度よい階段を備えたギリシャ建築の建物がある。ここはFederal Hall(フェデラル・ホール)と呼ばれ、初代大統領であるジョージ・ワシントンが大統領就任式を行った場所として知られている。この建物も歴史上数々の変遷を辿ったアメリカ創世記の歴史の証人である。
フェデラル・ホールは、もともと1703年にイギリス総督の諮問会議とニューヨーク市議会が置かれた場所である。犯罪者の収容や裁判もここで行われた。1765年にイギリスが印紙条例を施行したときには、9つの植民地の代表が集まり、「代表なくして課税なし」の抗議文を決議した場所でもある。アメリカ独立後には、連合規約の下、議会がこの場所に置かれた。ニューヨーク市庁舎は、ワシントンDCをデザインした
Pierre Charles L’Enfant(ピエール・シャルル・ルファン)によって改装された。1789年の新憲法の採択に伴い、この建物はフェデラル・ホールと改名され、第1回合衆国議会が同年3月4日に開催された。これに続き、ジョージ・ワシントンは同年4月30日にこの建物の前で
大統領に就任した。
1790年に首都はフィラデルフィアに移されたため、フェデラル・ホールが合衆国議会の場所となった期間は短かったが、この第1回議会ではこの国の基本的な法制度が審議された。中でも最も重要なものは、
Bill of Rights(権利の章典)と呼ばれる基本的人権を定める10の憲法修正条項である。後に第4代大統領となる
James Madison(ジェームズ・マディソン)が起草したこの条項は、表現の自由、宗教の自由、集会の自由、デュープロセスの保障などの近代憲法が定める基本的人権を保障するものである。また、Judicial Act(司法制度法)は、地裁、高裁、最高裁の三審制からなる連邦裁判制度と連邦裁判所の管轄権を定めた。Northwest Ordinance(北西部条例)は、5大湖南のミシシッピー川とオハイオ川に囲まれた地域が新たに州に昇格する条件を定め、これらの土地での奴隷を禁止した。
首都がフィラデルフィアに移ったことに伴い、フェデラル・ホールは再びニューヨーク市庁舎として1812年まで使用され、市庁舎の移転に伴い、フェデラル・ホールは取り壊された。現在の建物は、1842年に税関所として再建したときのもので、1862年に税関所が移転した後は、1920年に連邦準備銀行が設立されるまでの間、連邦政府が所有する金銀の貯蔵庫として使用された。
フェデラル・ホールの前にはジョージ・ワシントンの像が建てられ、ウォール街を見つめている。ワシントンは、世界の金融市場の都を眺めて、何を思っているのであろうか。
フェデラル・ホール
(国立公園局のHP)