北米西海岸にヨーロッパ人として初めて足を踏み入れた人物は、
Juan Rodriguez Cabrillo(ファン・ロドリゲス・カブリロ)である。1542年9月28日、カブリロが率いるスペイン探検隊は、現在のサンディエゴに入港した。北米西海岸へのヨーロッパ人進出の第1歩である。これを記念したCabrillo National Monument(カブリロ国立記念碑)がサンディエゴのPoint Loma(ロマ岬)に設けられている。
カブリロの生い立ちはよくわかっていない。ポルトガル人とされるが、スペインのコンキスタドールの一員として、コルテスのメキシコ征服に随行している。その後、グアテマラ征服に随行し、そのままグアテマラに住み着き、エンコミエンダ制の下、原住民を労働力に用いて、金鉱の開発、農園や造船場の経営、スペイン本国などとの貿易などで成功を収めた。
このカブリロに目をつけたのが、中南米のスペイン植民地を統括する新スペイン総督
Antonio de Mendoza(アントニオ・デ・メンドーザ)であった。メンドーザは、
コロナドが果たせなかった黄金の王国の発見とアジアとの交易ルート、とりわけ伝説の大西洋と太平洋をつなぐルートの発見をカブリロに託した。1542年6月24日に、カブリロ率いる探検隊は、メキシコ・アカプルコ近辺から出発し、海岸線に沿って北上していった。それから103日後の9月28日にサンディエゴ湾に入港した。
さらに船は北上し、
チャネル諸島を「発見」し、さらに
レイエズ岬付近にまで達したが、嵐のため押し返され、チャネル諸島のサン・ミゲル島に給水に立ち寄った際に、原住民と紛争が生じた。部下を支援するために船から飛び降りた際に、カブリロは足を骨折し、その傷が炎症を起こし、6週間のうちに死亡してしまった。探検隊は、カブリロの遺言に従い、その後も船を北に進め、オレゴン南部まで到達するが、冬の嵐のため、押し返され、メキシコに戻った。
カブリロの探検隊は、当初の目的を達成しえず、リーダーも途中で失うなど、惨憺たる失敗に終わった。しかしながら、それまで謎に包まれていた北米大陸西海岸の様子をヨーロッパに知らせる役割を果たすこととなった。今日ではサンディエゴの街と太平洋を見渡す高台にカブリロの到着を記念する記念碑が立っている。
カブリロ記念碑
また、敷地内には1855年から1891年まで36年間ロマ岬から明かりを燈し続けたOld Point Loma Lighthouse(旧ロマ岬灯台)が保存されており、ここで最も長く燈台守を務めたRobert Israel(ロバート・イスラエル)氏の時代の内装が再現されている。
旧ロマ岬灯台
なお、見晴らしのよいこの場所は、12月から3月にかけてカリフォルニア湾とアラスカを往復するコククジラの絶好の観察場所とされている。沖に広がる昆布の森のかなたの水平線に目を凝らしながら吹き上げる潮を探してみてはいかが。
鯨のオブジェ
(国立公園局のHP)