アメリカ独立のころ、現在のアラバマ州、ジョージア州一帯には、Creek(クリーク族)と呼ばれる原住民が緩やかな部族連合体を形成して住んでいた。クリーク族は、
オークマルギー川流域に塚を築いた原住民の末裔と考えられている。クリーク族の住む地域は、当時のフロンティアに当たり、クリーク族は1790年にTreaty of New York(ニューヨーク条約)を結び、合衆国との領土の境界線を画定した。オハイオ川以南の原住民総管であった
Benjamin Hawkins(ベンジャミン・ホーキンス)は、クリーク族と良好な関係を構築し、農業指導などを通じてクリーク族の生活向上に努めた。このため、クリーク族と合衆国は20年間にわたり平和な友好関係を続けたが、やがてクリーク族内に、ホーキンスの近代化策を受容しようとするジョージアのLower Creek(下クリーク族)とこれとは距離を置こうとするアラバマのUpper Creek(上クリーク族)との間に微妙な隙間ができるようになった。
この頃、オハイオではShawnee(ショーニー族)の
Tenskwatawa(テンスクワタワ)が白人の生活風習から離れ、古来の生活様式に回帰すべしとの啓示を受け、旧習回顧運動を始めた。ショーニー族のリーダーであった兄の
Tecumseh(テカムシー)は、土地は全ての部族の共有資産であり、全ての部族の合意なくして行われた譲渡は無効であると主張し、他の酋長や部族に働きかけ、反白人社会の連合体の形成を呼びかけて回った。アメリカとの間の緊張が高まりつつあったテカムシーの動きをイギリスが背後から支援した。テカムシーの主張は、微妙な隙間が生じていたクリーク族の間に楔を打つこととなった。
上クリーク族の中でも白人入植者の実力行使による排除も辞さないとする
Menawa(メナワ)をリーダーと頂くグループRed Sticks(レッド・スティックス)は、テカムシーの主張に賛同し、下クリーク族の村や入植者を襲撃した。これに対して、ジョージア州やミシシッピー領の民兵らがメナワのグループを襲撃するも撃退され、隣接するテネシー州も看過しえなくなり
Andrew Jackson(アンドリュー・ジャクソン)大佐率いる民兵を派遣することを決めた。1813年10月、ジャクソンは、兵を南に進めた。(
地図(PDF)参照。)ジャクソンのテネシー民兵には、ホーキンスらの要請に応じた下クリーク族やチェロキー族がこれに加わった。連合軍は、Tallushatchee(タルシャッチー)、Talladega(タラデガ)の緒戦には勝利を収めたものの、Emuckfau Creek(エマックフォー川)、Enitachopco Creek(エニタチョクポ川)でレッド・スティックスの激しい反撃に遭い、兵站不足、規律不足や兵役期間の終了などのため、その後はFort Strother(ストロザー砦)で足踏みを続けた。しかし、これら一連の戦いは、レッド・スティックスの戦力を大きく消耗させた。メナワは、Horseshoe Bend(ホースシュー・ベンド)と呼ばれるTallapoosa(タラプーサ)川が馬蹄形に蛇行する場所にキャンプを張り、ここで防御体勢を整えることとした。
ホースシュー・ベンド
ジャクソンは、準備を整え、1814年3月になり、テネシー民兵、連邦軍、下クリーク族、チェロキー族からなる3,300名の連合部隊を進め、3月27日にホースシュー・ベンドで1,000名のレッド・スティックスに対峙した。ジャクソンは、軍を二手に分け、John Coffee(ジョン・コフィー)将軍率いる700名の騎兵と600名の原住民部隊にタラプーサ川の対岸を包囲させ、自らは2,000名の部隊を率いて背後を抑えた。ジャクソンは、砲撃による攻撃を加えたが、レッド・スティックスのバリケードには効を奏しなかった。チェロキー族の兵士がタラプーサ川の渡河を開始したのを合図に、ジャクソンは銃剣による正面攻撃を命じ、数に勝るジャクソン軍は、上クリーク族の
バリケードを乗り越え、メナワ率いる上クリーク族を制圧した。
白い杭はレッド・スティックスのバリケード・ライン
その後も上クリーク族による抵抗は続いたが、1814年8月9日、上クリーク族はジャクソンに降伏し、Treaty of Fort Jackson(ジャクソン砦条約)が結ばれた。この条約により、戦いの責任はクリーク族全体に帰せられ、クリーク族はその所有する土地の半分以上の2,300万エーカー(9.3万平方キロ)もの広大な領土の譲渡を強いられた(
地図 (PDF)参照。)。ジャクソンは、クリーク戦争の勝利と英米戦争でのニューオリンズ攻略で一躍国民的人気を勝ち得、1828年の大統領選挙で当選し、第7代大統領に就任する。大統領となったジャクソンは、原住民の徹底排除を推進し、翌年ミシシッピー川以東に居住するチェロキー族、クリーク族、Chickksaw(チッカソー族)、Choctaw(チョクトー族)、Seminole(セミノール族)らに土地の譲渡を迫る法案を可決し、これらの部族はオクラホマに半ば強制的に移住させられた。
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)