アラバマ州の北部、テネシー州との州境にあるRussell Cave(ラッセル洞窟)は、珍しいフォーメーションのある洞窟ではなく、原住民の遺跡である。TV番組などでは原始人と言えば洞窟に住んでいたとのイメージがあるが、この洞窟にもかつて原住民が住んでいたことが確認されている。ラッセル洞窟には、過去9,000年に渡って、人間の生活に用いられた痕跡が残っており、時代を追ってアメリカ大陸における技術の発展や生活様式の変遷などを垣間見ることができる貴重な遺跡となっている。
この洞窟は、3億年前の浅い暖かい海の底にたまった貝殻や海洋生物の死骸などが堆積の圧力で石化した石灰岩に雨水が染み込み、形成された洞窟で、1万年ほど前の洞窟の天井の崩落により、山肌に入り口を形成した。天井の崩落と洞窟に注ぎ込む小川がもたらす土砂により洞窟の床が埋められ、人間の使用が可能となった。ラッセル洞窟では、紀元前7,000ごろから人間が使用した痕跡が見られはじめる。この地域では紀元前7,000年ごろから紀元前500年ごろまでが古インディアン期と呼ばれ、人間は石器や動物の骨や木を加工した道具を用い、採取狩猟生活を送っていた。この地域ではとりわけ川の恵みを採取することが重要となり、ラッセル洞窟は主に狩猟のためのキャンプ地として使用されたと考えられている。トウで編んだバスケットで木の実を採取し、石のすり鉢とすりこぎで粉に引いた。また、てこを用いて槍を投擲し、獲物を採取し、毛皮は動物の骨で作った千枚通しと針で衣服や敷物に加工された。熱く熱した石を水と肉をたたえた毛皮袋の中に入れて肉を茹でて食べた。
ラッセル洞窟
これに続く紀元前500年ごろから紀元後1,000年ごろまでの期間はウッドランド期と呼ばれ、農業や貿易が始まり、人々は集落を形成した。この時期にはラッセル洞窟も定住住居や冬期の住居として使用された痕跡が残っている。おそらく15-30名の集団の住居として使用したと考えられている。この洞窟からは9名の埋葬の跡が見つかっている。狩猟には弓矢や動物の骨で作った釣り針が使用されるようになった。また模様を施して焼いた土器が作られるようになり、貯蔵や調理に使用された。石を加工して作った装身具も見つかっている。
さらに洗練された文明の発達が見られるミシシッピー期(1,000-1,600年)では、
オークマルギー国立遺跡で触れたように、農業が発達し、人々は大きな集落を形成して住み、宗教的儀式や埋葬のために大きな塚を築き上げた。このため、この時期のラッセル洞窟は、住居として使用されることはなく、狩猟や貿易の際のキャンプ場として使用された。この時期の遺物としては、動物の骨や貝殻で作られた装飾品や薄焼きの土器が発見されている。ミシシッピー期の後は、この地域はチェロキー族の居住区であったが、チェロキー族がラッセル洞窟を使用した痕跡はほとんど残っていない。
これらのラッセル洞窟からの発掘品はビジターセンターに展示されている。なお、ラッセル洞窟は、公式には1951年にテネシー峡谷公社が電線付設工事を行っていた際に発見されたこととなっている。ラッセル洞窟のラッセルは、この地域の地図を作成した際にこの洞窟を含む土地の所有者であったThomas Russell(トーマス・ラッセル)大佐(独立戦争に従軍)に由来する。
(国立公園局のHP)