Carl Sandburg(カール・サンドバーグ)と言っても、日本人にはあまり知られていないかもしれない。2度ピューリッツア賞を受賞した詩人、作家、ジャーナリスト。その作品は詩集、歴史、小説、批評、児童文学など多岐に渡る。彼が晩年の創作期を過ごした家(農場)がノースカロライナ州Flat Rock(フラット・ロック)にあり、Carl Sandburg Home National Historic Site(カール・サンドバーグ・ホーム国立史跡)として保存されている。
カール・サンドバーグは、1878年1月6日にスウェーデン人移民の父August(オーガスト)と母Clara(クララ)の2番目の子供として生まれた。父親は鍛冶屋で働き、家族は質素な生活を送った。サンドバーグは、中学校を出ると、牛乳配達、製氷、左官、麦刈り、靴磨き、米西戦争の兵士など、各地を転々としながら様々な仕事を転々とした。1898年に地元に戻り大学に通い、この頃から文学活動を始めるとともに、社会主義にも出会う。1904年に最初の詩集を発表している。ウィスコンシンの社会民主党の事務局で働き、妻のLilian “Paula” Steichen(リリアン・ポーラ・ステイチェン)と出会い、1908年に二人は結婚した。
結婚後、Chicago Daily News(シカゴ・デイリー・ニュース)紙のレポーターとして働く。1914年に自作の9編の詩が雑誌Poetry(詩人)に発表され、2年後に詩集
Chicago Poems(シカゴ詩集)は批評家の評価を得て、1918年には詩集
Cornhusker(コーンハスカー)を出版した。詩の分野に限らず、サンドバーグは多彩な文才を発揮する。1922年には児童書
Rootabaga Stories (ルータバガのお話)を発表し、新境地を開いた。1926年に出版したAbraham Lincoln: the Prairie Years(アブラハム・リンカーン:プレーリー時代)は、商業的成功を収め、この印税でミシガン湖の畔に家を建てた。1932年には新聞社を辞め、作家として身を立てることとなった。サンドバーグは、1940年に出版した
Abraham Lincoln: the War Years(アブラハム・リンカーン:戦争時代) でピューリッツア賞の歴史部門を受賞した。この頃から、妻と娘のHelga(ヘルガ)は、乳用ヤギの飼育に取組み始め、商業的成功を収めるまでになった。執筆活動とヤギの飼育により良い場所を求めて、サンドバーグ一家は、1945年にノースカロライナ州のフラット・ロックの農場に転居した。サンドバーグは、Connnemara(コンネマラ)と呼ばれたこの場所で亡くなるまでの22年間、創作活動を行った。
コンネマラの家
サンドバーグの創作意欲は衰えることなく、1848年には小説
Remembrance Rock を著し、1953年には自伝
Always the Young Strangers を発表した。詩の分野でも活躍は続き、1951年には詩集
Complete Poems でピューリッツア賞の詩部門を受賞している。その間、妻のポーラは、ヤギの飼育に精を出し、一時は200匹を数えるまでに群れは膨らんだ。このヤギの子孫は、今でもカール・サンドバーグ・ホーム国立史跡で飼育されており、訪れる人たちに愛嬌を振りまいている。
サンドバーグは、労働者の視点に立ち、アメリカ人とは何かをその生涯追い求め続けた。彼が問い続けた問い"Who am I, where am I going and where have I been?"(私は誰だろう、どこへ行くのだろう、そしてどこから来たのだろう。)は、私たちにとっても永遠のテーマである。
(国立公園局のHP)