ニューメキシコ州の北東部に850年頃から1250年頃にかけて造られた
アナサジ族最大の遺跡群が存在する。緻密な計画に基づいて整備された3-4階建ての500人規模を収容できる巨大な集合住居と多くのキバからなる集落(Great House:グレート・ハウス)が巨大なキバ(Great Kiva:グレート・キバ)を含む広場を取り囲むように整備されており、この計画集落がいくつも点在している。計画的な工事によって整備された周辺の道路は、東西南北からこの遺跡群にアクセスしており、ここがその時代の交易、政治、文化、宗教などの一大中心地であったことが伺われる。これらの遺跡群は、Chaco Culture National Historical Park(チャコ文化国立歴史公園)として保存されており、
アズテック遺跡とあわせて、アメリカ原住民の最大級の遺跡として世界遺跡にも登録されている。
ここはどんなところであったのだろうか。この地域に住む原住民には、周辺の部族が一同に会し、宗教儀式を行う場であったとの話が伝わっている。これらの遺跡からは、独特の
白黒の模様が施された土器が出土しているほか、この地では発掘されないトルコ石をあしらったビーズ、ネックレス、ペンダントなどが発見されており、高い技能をもった職能集団が存在したことをうかがわせる。また当時貨幣の代わりに用いられていた、貝殻、銅鐘、インコやオウムの羽なども発掘されており、メキシコ北部との大規模な交易の跡が残されている。巨大な石造りの建物も、初期には石を敷き詰め泥で固めた石壁が使用されていたが、建物が高度に巨大になるにつれ、砂岩をブロックの形に整形し、それを敷き詰めて、すきまを小さな石で埋め、モルタルで固めるようになっていく。複数階の建物の場合、1階部分の石壁は分厚く敷かれ、上に登るにつれて薄くなっており、計画的に建物の安定性を考えて建設されたことが伺える。高い技能をもった石工集団の存在が伺える。また、これらの集落は、18.6年周期で繰り返される月の昇降点のぶれを反映して配置がなされているものもあり、高い天文学的知識の裏づけも推察される。このように栄えた集落も、周辺の遺跡よりも早く、1200年ごろには何らかの理由により使用されなくなるが、その影響はアズテックやメサ・ベルデの遺跡に残されている。
ビジターセンターからは9マイル(14km)のCanyon Loop Drive(キャニオン・ループ・ドライブ)が整備されており、これを回ると6つの遺跡にアクセスすることができる。ビジターセンター裏の駐車場からは1マイル(1.6km)のトレールがあり、それをたどるとUna Vida(ウナ・ビダ)遺跡にたどり着く。ウナ・ビダとは、スペイン語でOne Lifeを意味する。この遺跡はほぼ自然の状態のまま保存されている。ウナ・ビダは、850年頃から1100年頃にかけて徐々に形成されていった遺跡で、チャコ遺跡の中でも最も東に位置する。
ウナ・ビダ
また近くには、Petroglyph(岩面彫刻)も残されている。
一方通行の道をたどって進むと次にたどり着くのは、Hungo Pavi(フンゴ・パビ)遺跡である。フンゴ・ピバは、ナバホ語で「葦の生える泉の村」を意味する。フンゴ・ピバは、グレート・ハウスがグレート・キバをDの字の形で取り囲むチャコの典型的な遺跡の形をとっている。943年頃から1047年頃にかけて段階的に整備された集落で150の部屋を擁した。遺跡自体は、発掘されず、そのままの状態に置かれている。
フンゴ・パビ
キャニオン・ループ・ドライブの折り返し地点付近には、ここの遺跡の中でも大きなものが3つ残されている。Chetro Ketl(チェトロ・ケトル)、Pueblo Bonito(プエブロ・ボニート)、Pueblo del Arroyo(プエブロ・デル・アロヨ)は、衛星写真で見ると、くっきりと集落の形が見える。
チェトロ・ケトル プエブロ・ボニート プエブロ・デル・アロヨ
チェトロ・ケトルは、その名前の由来は不明だが、500の部屋を誇る巨大な遺跡でチャコ遺跡の中では2番目の大きさである。1010年ごろから12世紀のはじめにかけて建設された。1階部分に225部屋、2-3階部分に275部屋を数える。遺跡の西側部分のみが発掘されている。この遺跡の広場に当たる部分は、周囲の土地より12フィート(4m)わざわざ高く造られている。
チェトロ・ケトル
プエブロ・ボニートは、チャコ遺跡最大の遺跡である。スペイン語で「美しい村」という意味のこの遺跡は、最も調査が進んだ遺跡でもある。850年頃から1150年頃にかけて段階的に整備され、600の部屋と40キバを内包する巨大なコンプレックスであった。その様相はまるでヨーロッパの中世の城に引けをとらない。
プエブロ・ボニート
プエブロ・デル・アロヨは、スペイン語で「谷の村」を意味する。比較的短期間に1025年から1125年にかけて2段階で整備された集落である。この遺跡は、280の部屋と20のキバを誇ったが、広場にはグレート・キバは整備されていない。
プエブロ・デル・アロヨ
折り返しの道の途中にあるのが、Casa Rinconada(カーサ・リンコナーダ)である。カーサ・リンコナーダは、スペイン語で「角の家」を意味する。ここはチャコ遺跡最大のグレート・キバが設けられていることで知られる。このグレート・キバには、他の遺跡より一段高いところに設置されており、夏至の日に太陽光が差し込み、反対側の壁を照らすように穴が設けられている。
カーサ・リンコナーダ
グレート・キバ
これらの遺跡のほか、ドライブの折り返し地点からトレールが出ており、それをたどるとKin Klesto(キン・クレスト)、Casa Chiquita(カーサ・チキータ)、Penasco Blanco(ペニャスコ・ブランコ)、
Pueblo Alto(プエブロ・アルト)と呼ばれる遺跡や数々の岩面彫刻を見学することができる。カーサ・リンコナーダの奥には、
Tsin Kletsin(ツィン・クレツィン)と呼ばれる遺跡もある。
キン・クレスト
カーサ・チキータ
ペニャスコ・ブランコ
今から1000年も前に、これだけ巨大な石造りの建築物を計画的に整備していたということは驚きで、北米大陸における原住民の歴史への見方が変わってくる。なお、チャコ遺跡に通じる道は、いずれも粘土質のダート・ロード(舗装されていない道)なので、スコールが降ると車が足元をとられて身動きできなくなる可能性があるので、必ず4WDで出かけるようにしよう。
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)