サンタフェから車で1時間ほど北西に曲がりくねった険しい山道をたどっていくとFrijoles Canyon(フリヨレス峡谷)に到着する。この峡谷を見下ろす高台には、第2次大戦中、ひそかに原爆の開発が行われていたニューメキシコ州のロス・アラモス研究所がある。原爆の開発が行われるような人里はなれた山奥に、アナサジ族の遺跡が存在している。この遺跡は、Bandelier(バンデリア)遺跡と呼ばれている。19世紀末に、この遺跡を含め、ニューメキシコ、アリゾナ、メキシコの原住民の遺跡を調査した考古学・人類学者であるAdolph Bandelier(アドルフ・バンデリア)に因んで名づけられた遺跡である。
フリヨレス峡谷には、今から1万年前から狩人たちが行き来していた痕跡が残されているが、ここに定住集落が築かれたのは、1150年頃から1550年頃までのことである。フリヨレス川の水を利用して、フリヨレス峡谷を見下ろす高台(メサ)に畑を作り、コーン、豆類、スカッシュなどを栽培した。フリヨレス峡谷を形成する山壁は、火山性の凝灰岩でできており、これを利用して、レンガ状に加工して積み上げ、モルタルで接着し、プエブロ式の住居を築いた。より硬い玄武岩や黒曜石は研磨され、斧やナイフなどの道具として使用された。交易も行われ、綿、貝殻、トルコ石、オウムの羽などを手に入れた。ユカの葉を利用してバスケットを編み、白黒模様の土器を製作した。しかし、1550年頃には、旱魃の影響などで、フリヨレス峡谷の住民はここを旅立ち、リオ・グランデ川沿いの他の集落に移動した。口伝によれば、Cochiti Pueblo(コーチティー・プエブロ)の人々が彼らの子孫と言われている。
ここには、当時のプエブロ式住居の跡である
Tyuonyi(チオニ)遺跡やキバの跡が残されているが、バンデリア遺跡の特徴は、フリヨレス峡谷の岩壁を削って造られた住居跡である。周囲の環境を活かして、柔らかい凝灰岩を削って穴を開けて住居とした。この岩壁には数多くの部屋が造られ、岩壁ごとマンションにしてしまったような感じである。どの穴も中はすすで黒くなっている。地表からは高いところにあるため、はしごで上り下りをしていたようである。トレールのはずれにある
Alcove House(アルコーブ・ハウス)は、140フィート(52m)もはしごを上らなければならず、チャレンジングである。
岩壁住居
子供がようやく通れるくらいの小さな穴もあり、いくつかの穴には実際に入ってみることができる。
ヘビの絵が描いてある穴があるので探してみよう。
付近は山深い場所であるため、トレールが整備され、山の散策もあわせてできるようになっている。この他、少し離れた場所にTsankawi(ツァンカウィ)遺跡が保存されている。ツァンカウィ遺跡は岩壁住居ではなくメサの上に築かれた住居跡で付近には岩面彫刻が多く残されている。トレールは4つのはしごを上り下りするなどこちらも歩きがいのあるコースとなっている。
ツァンカウィ遺跡
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)