ミシシッピー州Natchez(ノッチー)の町から、ミシシッピー州を斜めに横切り、アラバマ州の北西部をかすめてテネシー州ナッシュビル近郊に到るルートは、古くから原住民によって交易ルートとして使用されてきた。このトレールは、Natchez Trace(ノッチー・トレース)と呼ばれ、ノッチー族、Chickasaw(チッカソー族)、Choctaw(チョクトー族)らによって利用された。スペイン人探検家
Hernando De Soto(ヘルナンド・デ・ソト)も米国南部内陸部探検の際にこのルートを通ったと推察されている。
ノッチー付近の土地は、フレンチ=インディアン戦争によってイギリス領となり、アメリカの独立後、1798年に
ミシシッピー領が設定され、後にルイジアナ併合を受けてさらに拡大された。この頃には、ノッチー・トレースは、郵便用のルートとして注目され、軍の主導により、1809年までにはワゴンが利用できるよう整備された。オハイオ川流域の農作物や家畜、石炭などは、オハイオ川、ミシシッピー川を伝ってノッチーやニューオーリンズにいかだによって運ばれていたが、いかだは分解して木材として利用されたため、陸上の短絡路であったノッチー・トレースが帰りの旅に使用された。1810年だけで1万隻を超えるいかだが往来したという。このため、ミシシッピー州、テネシー州南西部の開拓はノッチー・トレースの沿道から広がり、交通量の増大に伴い、沿道には20余りの宿場(Stand:スタンド)が立つようになった。
しかしながら、1812年の蒸気船の登場、さらには東方にニューオーリンズとナッシュビルを結ぶ別ルート、Jackson’s Military Road(ジャクソン将軍軍事道路)の整備により、ノッチー・トレースの利用価値は次第に低くなり、1830年ごろにはもはや道路として使用されることはなくなった。
今日では、かつてのノッチー・トレースに沿って、444マイル(715Km)の
パークウェイが整備されているが、その沿道には、かつてのノッチー・トレースの一部が残されており、これを利用してNatchez Trace National Scenic Trail(ノッチー・トレース国立景観トレール)が設けられており、ハイキングに利用されている。
ノッチー・トレース国立景観トレールは4つのトレールから構成されている。
Rocky Springs Trail(ロッキー・スプリングス・トレール)(PDF)(52.4マイル-59マイル)、
Ridgeland Trail(リッジランド・トレール)(PDF)(108マイル-131マイル)、
Tupelo Trail(トゥペロ・トレール)(PDF)(260.8マイル-266マイル)、
Leipers Fork Trail(レイパーズ・フォーク・トレール)(PDF)(408マイル-427マイル)で合計65マイル(104km)となっている。
※ 括弧内は、ノッチー・トレース・パークウェイ上のマイル標示。
ロッキー・スプリングス・トレール
ノッチー・トレース・パークウェイをドライブする際に、途中で降りてこのトレールを歩くと、昔の原住民の辿ったルートを体感することができるだろう。
(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)