オレゴン州の大都市ポートランドとコロンビア川を挟んで対面にある町Vancouver(バンクーバー)。かつてはここにHudson’s Bay Company(ハドソン湾会社)のオレゴン領における拠点、Vancouver(バンクーバー砦)が設けられ、太平洋岸の毛皮取引の中心地として栄えた。ここは商業拠点としての機能ばかりではなく、事実上のオレゴン領におけるイギリスの権益を代表し、政治、文化、情報の中心地としての役割を果たした。
ハドソン湾会社は、北アメリカのフランス人による毛皮市場支配を打ち破るために、1670年にイギリス国王チャールズ2世から特許を得て、カナダのハドソン湾に流れ込む河川流域の毛皮を始めとする権益を独占することを認められた会社としてスタートした。現在のカナダ中央部のマニトバ付近に拠点を構え、毛皮取引に従事し、次第に勢力を伸ばしていった。オレゴン領には、最初にアメリカの
John Jacob Astor(ジョン・ジェイコブ・アスター)率いるPacific Fur Company(太平洋毛皮会社)が1811年にコロンビア川河口の南岸にFort Astoria(アストリア砦)を築き、毛皮取引の拠点を築いた。太平洋毛皮会社は、オレゴンでビーバーやラッコなどの毛皮を取得し、取引を行っていたが、1812年の英米戦争により緊張関係が高まったことから、1813年にアストリア砦をカナダのNorthwestern Company(北西会社)に売却し、オレゴンでの毛皮取引から撤退した。北西会社は、アストリア砦をFort George(ジョージ砦)に改名して事業運営を続けた。1818年のアメリカとイギリスの条約でオレゴン領は両国の共有となった。
1821年にハドソン湾会社は北西会社と合併し、ハドソン湾会社としてオレゴンの毛皮取引も担当することとなった。同じ年にハドソン湾会社の北米地区の総支配人となった
Sir George Simpson(ジョージ・シンプソン卿)は、1824年にオレゴン領の支配人に元北西会社の
John McLoughlin(ジョン・マクローリン)を任命した。マクローリンは、赴任後既に古くなったジョージ砦は取引には適しないと判断し、コロンビア川の100マイル(160km)上流に新たな取引拠点を建設することを決めた。こうして1825年3月19日に開設されたのがバンクーバー砦である。
バンクーバー砦
マクローリンは、原住民との融和に努め、毛皮取引を発展させるとともに、カリフォルニアやハワイとサケ、木材の取引を始め、アラスカ(ロシア)に農産物を供給するなど事業を拡大した。マクローリンは、本社よりアメリカ人開拓者を排除するよう指示を受けていたが、これを無視し、アメリカ人開拓者とは有効な関係を保つように努めた。これは、アメリカ人開拓者からの攻撃を避けられる上、アメリカ人開拓者との取引は大きなビジネス・チャンスであったためである。シンプソン卿らの批判をよそに、
Jason Lee(ジェイソン・リー)牧師、
Whitman(ウィットマン)夫妻らの伝道者を厚遇したのを皮切りに、アメリカ人開拓者には必要物資を販売し、資金の融資も行った。バンクーバー砦は34の取引所、600人の従業員を雇う一大取引センターとして発展した。しかし、アメリカ人開拓者はその後も増え続け、1846年にはイギリスとアメリカの国境が北緯49度と定められ、バンクーバー砦はアメリカ領に位置することとなってしまった。この年マクローリンはOregon City(オレゴン・シティー)に引退し、1851年にはアメリカ市民となり、オレゴン・シティー市長としてオレゴン領の発展に努めた。今日ではマクローリンは、オレゴンの父と呼ばれている。バンクーバー砦は、その後も取引を続けたが、取引量は減ってしまい、1860年に閉鎖された。
支配人の家
Fort Vancouver National Historic Site(バンクーバー砦国立史跡)には、マクローリンが支配人であった頃の取引所が再現されており、ありし頃の毛皮商人たちの声が聞こえてきそうである。
(国立公園局のHP)